海山にこいま 熊野古道バックパッカー

いざ、和歌山パート5

和歌山から戻り、なかなか頭が整理できないところで何かと忙しく、やっとバックパッカー道具だけはきちんと整理した。

次のバックパッカーに向けて。懲りないヤツだな(笑)。

今回も相変わらずはちゃめちゃなバックパッカーとなり、目的地の粉川寺まで行けなかったが、やり切った感がありとても満足してる。

記録の為にもブログに残しておきたいと思うので、またお付き合いのほどよろしくお願い致します。

出発は11月25日火曜日。今回は距離があるからまずは前泊として車中泊をし、海南を朝イチから歩き出すとした。

道中、まずは熊野古道館へ。

今回のバックパッカーにも熊野古道館のさちこさんのパンをいただける事になり本当嬉しく。このパンが今回も幾度となく助けてくれた。

中辺路は本当歩くインバウンドの人がたくさんだ。特にアジア系の人たちが多いかな。

さちこさんらは忙しくとも本当頑張っている。その姿が素晴らしく過疎化の中でもやればできる!と言う可能性を感じる事ができる。

写すタイミング悪く(笑)。

さて、海南に向かう途中で次はここだ。

南部峠のお地蔵様。

そして、次は南部峠からの片倉峠の一里塚。

この説明書きに納得。

しかし、なんで清姫さんの話しに繋げるのかな?と(笑)。歴史的史実からいきなりなんでそこやねん!とツッコミ入れるボクだった。

南部峠と片倉峠はすぐ近く。本当はまとめて一つの峠と考えてたのでは?なんて思ったりした。逆から来た場合は峠は先に片倉峠となる。どうでもよい事なのだが、ボクには興味がそそられる。

そう、南部峠のお地蔵に戻る。その目的はそこからボクが歩いた時とは逆に歩いて下る事にした。

途中、道標が。

道標があると言う事はやっぱりここがコースなんだなと。ボクは間違えたコースを歩いてしまったのだなと確信した。

どこで間違ったかの分岐点まで下る事とした。

ここだ!。今回ボクは左から出てきた。

これでは見落とすな!と。

これで南部峠に向かうのは現在3つある事となる。一つは現在の国道42号線だ。そしてその横下にはボクが歩いてしまった旧国道42号線?農道?があり、そして熊野古道としてのこの道だった。

まあ現在は軽トラが通れるぐいの農道としている。ボクが歩いた時、南部峠のお地蔵様を見落としてしまったのが不思議だったが、これでやっと謎が解けたと言うものだった。

つづく〜(^∇^)

by理事長

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