千里王子、なんとロマンを感じさせるネーミングだろうか。
誰がいつ名付けたのかはわからないし、王子の事情も詳しくはわからないのだが、この地になぜか強く惹かれるボクだな。
バックパッカーで歩いたこの地を何度訪れたことかな。いや、千里王子そのものにはバックパッカーから二度目だ。
あの時はこの上にある千里観音の徳川の葵の御紋に恐怖を感じた直後に千里王子の優しさに触れた気がしたんだ。
うん。本当神々しい場所。ちゃあ曰く、天使の梯子と言うらしい(笑)。

赤みの強い砂浜である。

これは昨日の写真。うん、昨日またここを訪れていたんだ。
これまで紀伊半島の海周りを歩いて来て1番感動したのは大辺路の里野浜の熊野古道。磯づたいの熊野古道こそ無かったが、浜から上がる石畳の道を見つけた時だな。野宿した浜だ。
そして、この千里王子も古くは浜が熊野古道なんだ。このマップを見てほしい。

わかりずらいが、真ん中右側の赤文字が現在地の千里王子。
そこから左側へと海岸沿いを走るJRと重なり赤い点々が岩代王子まである。その海岸の半分をボクは進んだんだな。
その上にある赤いコースが現在歩く熊野古道コース。そのコースはおそらく江戸道だろうなと感じている。青いラインが現在の国道。
ボクの推測は当てにはならないが、江戸時代こんな赤いラインの遠回りのグネグネしたコース取りはしないと思う。
千里王子の上には⑧南部峠の地蔵が記されている。
それがこれだ。

バックパッカー時はこの峠の地蔵がルート上にないので見落としたボクだった。なので今回それを探してみたかった。
もし、この地蔵の場所が昔からここならば、ここが南部峠となるだろう。と言う事は現在のコースからわずかだがズレている。
ボクが歩いたマップ通りのコースはもしかしたら旧国道42号線となるのかもしれない。
そしてさらに今回の下見では⑧から真っ直ぐ行った所に片倉峠一里塚があるのがグーグルマップから調べていた。やっぱり江戸時代?の熊野古道のルートは南部峠からゆるやかに真っ直ぐに下り岩代王子、善太郎の道中日記にも記されている岩代の結び松まで行っているのだろうと。
と言う事は現在のコース取りは千里王子を見せたいがためのと言える。
しかしながら、古く王子を作った平安の頃なら山中を歩くより浜を歩く方が距離が短縮されるから古くは海岸沿いがコースだったと考えられる。
南部駅から切目駅まで、まーくんはじめ歩く仲間の皆さんに紹介したいと思っているんだ。そこ歩きましょう!と(笑)。
なので今回のまたの下見となったんだけど、いつ一緒に歩けるかもわからない。でもそう考えているだけで楽しい。
うん。目的地の切目駅にも行って来た。

この子に会うためだ。このカエルくん。バックパッカーの時は本当癒された。感謝している。

こりゃ、まーくんの無事カエルくんやな!と(笑)。
by理事長