紀州東照宮から戻りこの看板を目にする。
この時点で10時。

天満宮。善太郎らは天満宮にも寄っているのだが、ボクは気分的、時間的に余裕無く残念だが行くのを諦めたんだ。
和歌山城までまだまだあるのを感じていたし、ここは和歌山市だ、遠いよ〜帰りの時間も考えないとならない場所だなと。
そして善太郎らの足取りはここからだ。

善太郎らは道中日記に和歌山城下を通ると書いている。現在の国道42号線を通るか海側の15号線を通るかボクは迷ったが、出発前からもう決めていたんだ。国道42号線で良いやろと。
善太郎らは和歌山城下を通り紀の川を舟で渡り 村道松原道を通り とあるのは現在の日鉄の工場辺りだろう。そして本脇村、賀田か浦(加太)から淡島大明神に行っているんだ。と言う事は!?と考えると海側を行き、良い渡し舟がある場所を探しながら行った事も考えたんだ。そちらもまあ和歌山城下になるだろうし。もちろん、現在の地形ではなく埋め立てがあるのは考えていたから海際として15号線ぐらいが当時の水際ラインではなかったか?と。また、15号線には大浦街道とくすぐられる名前が付いているのでかなり迷ったのだが42号線にした。
面倒くさいヤツだ(笑)。
紀州東照宮から天満宮に向かわず右手に進路を取った。
そして42号線を歩き出す。

途中、雨がまた降り出した。この日は降ったり止んだりを繰り返していたな。

つづく〜( ̄^ ̄)
by理事長