海山にこいま 熊野古道バックパッカー

紀伊路第3弾 パート37

きほく七夕物語ファイナル終わり、次はくき漬け業務が入ってくる。

気分を変えたい。

紀伊路に戻る。お城に入るところからだな。またボクのチャランポランなバックパッカーにお付き合いお願いたしたい。

ちょっとキツイな。歳をとったのだな。先日63歳になった。まだ若ぞうなんだけど(笑)。

こんな時は楽しいことだけを考えていくに限る。





雨はわずかにまだ降っていた。

恐る恐る、ワクワク入って行くと。

まだ咲いていたソメイヨシノがぽんわりとボクを迎えてくれた。

4月13日である。桜にテンション上がるボクだった。吉宗の時代劇のテレビのような世界があった。

城の中だ。

うえっ!と当時の厳しい世界が迎えてくれた。

城の中は最新のボクの携帯ではなくデジカメで撮ったのでブレ写真ばかりでお見せできなく申し訳なく候。

皆さん、是非和歌山城に出向いて頂きたい。

紀州徳川を強く感じる事ができるぜよ!だな。

さて、いよいよ天守閣に来た。

歩いてきた方向だ。

真ん中の山裏のどこかが、紀州東照宮だろう。

と言う事はその向こうが和歌浦になるな。←この説明は間違ってた。申し訳ない。

左の山根にある赤いものは紀三井寺だ。

と言う事は、紀州東照宮は真ん中の山ではなくて真ん中の山に近くちょっと右側の山だな。そこに向かって国道42号線が眼下に見える。

右側こちらが紀の川だ。

この瞬間のためにボクは紀伊路を歩いて来たんだ。

ほら、善太郎らが舟で渡っているのが見えるだろ。ボクには見えるじょ(笑)。

善太郎〜気をつけてな!また追いかけて行くから待っててよ!と見送るボクだった。

当時はこんな風景は庶民は見られないな。
善太郎らは庶民とは言え財閥だ。

そんな財閥でもこの風景は見ることは無いだろうと思う。この時はボクはお殿様だったな(笑)。




うん。熊野古道と言う本質を考えていた。

上皇様でもお殿様でも財閥様でもなく、ボクは弱く悲しい庶民の巡礼の旅に興味があるんだな。

そんな庶民はお金を使わない、お金は持っていない。地域から迷惑、嫌われる存在であった事だろう。

だからこそボクは興味があるんだ。そんな庶民の巡礼を当時地域がどう支えていたか。そりゃあお互い貧しかった事だろうが。

時代の古さ新しさ、また石畳があるか無いかなんて関係ない。その心の部分が熊野古道の本質ではないか!?と勝手に考えている。

その巡礼を支えた部分が世界遺産だ!とボクは胸を張って言いたいんだな。

長く歩いていると、なんとなく見えてくる。

だからこそボクは野宿者でいたいんだな(笑)。

つづく〜( ̄^ ̄)ゞ




by理事長

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