海山にこいま 熊野古道バックパッカー

いざ、和歌山パート22

根来寺だ。

やっと着いた。大門と言い寺と言い善太郎の見たものとは違うかもと思いながらも、この根来の地に無事辿り着けたのは本当に良かった。

ただ、時間だけは予想を遥かオーバーしてるな!と感じていたな。なんとこの時点で11時。紀の川から少なく見積もっても三時間はかかっている。ボク何しいよったんやろ!?と(笑)。

続いて二重塔大に。

これこそが、善太郎らが見た物だろう。しかし善太郎の道中日記を書いた母、登勢さんは二重塔大はがらんどうと記している。ボクにはがらんどうとはこれを見たら余計わからなくなった。

料金所のおばさんは確か二重塔大は燃えなかった、中の建築様式が素晴らしく例を見ないとか言っていたな。本当凄いよ外も丸いけど中がまた丸いんだ。木材は丸くして作れるものなんだなとびっくりした。がらんどうとはさらにこの中にあった何かなんだろと。今考えると、何故この二重塔大と周りの二つぐらいが燃えなかったのか?全くわからないけど、そこにはかなりのお宝があり持ち去ったのではないかと思ってしまうボクだな(笑)。ともかく、ここは戦場化したのだな。

二重塔大の右側には大伝法堂がある。その前にはこんな物が立てあった。

これは塔婆なんだと。ボクの青岸渡寺で買った杖も塔婆なんだ。塔婆とは亡くなった人の戒名を書き法要等で墓に立てるものだ。もとはお釈迦様のお墓に関係あるらしい。仏塔とか。その形なんだな。昔修験僧が旅立つ時に塔婆になる杖を持ったのだとか。行き倒れの死を覚悟したのだろう。

杖を買った時はそんな事知らなかった。ボクはバックパッカーでは魔物からお守りくださいとの願いから買ったのだ。また、青岸渡寺の杖を持つことで自分にバカな事できない!と言う警めと熊野古道を歩いてますと言う主張をするためだったのだ。

杖には名前を書いておきたいのだが、マジックで書いては叱られそうで書くのを躊躇っているのだな(笑)。

その大伝法堂の中を見せてもらった。

ひでちゃん〜こんな所におったんかい〜と。ひでちゃんによく似てたな(笑)。いつの時代の仏像かはわからないが、善太郎の道中日記にはこの場で興業大師参詣とある。善太郎らは伊万里の有名な陶器商人なので興業的にのお参りかと思っていたら、登勢さんの聞き間違いからか?間違えたんだな。興教大師だったんだ。根来寺が興教大師なのか大伝法堂のことなのかはボクにはわからないが。道中日記には発音からくる字の間違いは多々あるんだ。

ちなみに、根来寺が出来たのは1288年頃で豊臣秀吉による焼き討ちが1585年で前川善太郎らが西国三十三所観音巡礼でこの地を訪れたのは1789年である。また観音様はお釈迦様の悟り慈悲を伝える存在であると。

紅葉が残る素敵な根来寺をあとにした。

さて、今回のバックパッカーは目的地は粉川寺だったが、馬目王子まで想定外に時間を費やしたので根来寺までとした。まあ無理はしないボクなんだ。また来るからと。帰りの最寄りの駅は岩出駅なので、途中までは粉川寺までのコースと同じなのだ。

根来寺から菩提峠を目指す。峠と言っても車道だ。

ここが菩提峠だ。

さて、ここからだ。江戸時代当時の道は何処にあったかだ。この峠を真っ直ぐ車道を行くと近畿大学和歌山キャンパスがある。粉川寺に向かうにはそのコースが早いのだが、それは現在の話しだ。善太郎の道中日記には根来寺から坂本と言う地名に向かっている。坂本とは菩提峠を右折になるのだ。なので善太郎追っかけのボクも右折した(笑)。

右折すると、眼下には広い岩出の町が見える。その途中に今回の野宿地予定地を二つグーグルマップより見つけていたのだ。そのまず一つ目がここだ。

ここはダメだった。人目には付きにくいが完璧ではない場所だった。次はここだ。

車道横の山の中だ。ここならOK。人様からは見えず平地で素晴らしく理想地だった。まあ山裏はでっかい墓地なのだが。もし今回下見できていたなら、紀伊駅からここに向かっていたな!と思うボクだった。伊勢神宮を出発した時から野宿地下見は事前にした事はたまにあったが、その頃もしボクが30代、40代ぐらいだったら下見なんか無しで行ったと思う。まあ地元だしちょっと車で見に行けるしだったか。

紀伊駅から戻る事を選んだ今回だったのは、和歌浦を歩いた時は野宿地未定の夜を経験したからだ。老いてね。夜は目がとろくなってね。夜歩くのが怖くなったのだ。方向もわかりずらいし。もし今回前に進んでいたら。さすがに夜の根来寺はパスしていただろし、なんとか予定地に着けたとしても10時ぐらいにはなっていただろう。そして翌日根来寺となれば、まあ同じような位置になって粉川寺を諦めただろうと結論が出た。紀伊駅からの退却は正解だったなと。

今回目的地達成は出来なかったが、これまでの経験をフルに活かし、やり切った感がありとても充実していた。

さて、次はここからだ。

今回は右、岩出駅を目指す。次回は左、粉川寺の分岐点である。

岩出駅までもなかなか距離あり。途中高校生の帰宅団体と一緒に歩く。かわいいお嬢ちゃんに岩出駅はどっちかな?なんて聞いたら、真っ直ぐですよと。聞いたと思ったら線路が見え(笑)。その時点で1時半。

駅に着いたらまたお嬢ちゃんにこの辺り食事処ないかな?と聞き教えていただき。おかげさまで食事できて電車に飛び乗るボクだった。そこから海南の駅までまた時間もかかるし、本当和歌山のこの地は本当遠い場所である。

デリカに戻ってきた。やり切った!と。

長らくご清聴ありがとうございました。

次は粉川寺、そして高野山を目指す途中の麻生津峠までを目指したいな!と早々計画たてている(笑)。




by理事長

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