海山にこいま 熊野古道バックパッカー

紀伊路第3弾 パート33

ええい!頭が高い!控えおろう!と言われた気がした(笑)。

おおっ、これぞまさしく当時の舗装道路だな。

ぐぇっ!。

この階段も紀三井寺と同じぐらい段数があったな。

ヒーヒー上がるとこんな場所が。

私は日光東照宮には行った事がないのでわからないので比べようも無いが、紀州徳川として祀る気持ちは素晴らしいなと。徳川が少し身近に感じ嬉しく思った。

帰りに気づく。和歌浦方向だろうか。

ぶれた写真で申し訳ないが、出入り口左右には仁王さんではなくてお二人が居た。

違う意味で怖い(笑)。

つづく〜( ・∇・)

追伸‥‥。

今日の中日新聞を見てびっくり嬉しかった事。

中段の左側に。和歌山城は特に珍しくはないのですが、紀州東照宮と言う名称。この名前は普段なかなか出会うことはない。ボク、バックパッカーでそこに行って来ました!と言いたい(笑)。

あの階段の石にこの地域の石があると考えたら、なんか凄いよね!と思います。

石を運んでいた時代は江戸時代。船で運んだのでしょうが、当時和歌浦は埋め立てが無かった事でしょう。そうすると御手洗池は海と繋がっていたならそこまでが入る事ができたら作業はまだ楽だったかな?なんて考えると楽しい。

古くは奥熊野と言うこの地域。近年では東紀州と。

では紀州や紀伊と言う地名はいつどのように付いたのやろか?やっぱり徳川は凄いね!と思ったボクでした。

by理事長

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